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なぜ救世主は現れないのか


窮地に立たされれば

必ずや救世主は現れる


こんな映画や漫画の世界のようなこと

現実に起きるわけがない


その通りだ


前作“幸福な結末”の撮影でのこと

ビルの屋上のロケ地が

ことごとく断れ続けた

主人公が投身自殺する場所のためだ


そんな中

唯一OKが出たロケ地から

クランクイン直前

突然NGが出た


理由は

そのビルで本当に

投身自殺をしてしまった人がいたからだ


必死のロケ地探しをするものの

時間が迫り

クランクインをしてしまうことに…


撮影日が近づくにつれ

救世主など現れることないと

諦めた始めたとき

あっけなく問題は解決された


救世主が現れたのだ


「幸福な結末」の制作時には

このほかにも

追い込まれるたびに

それは決まって

思いもよらないところから現れた


それはなぜか?


偶然が重なったから?

運が良かったのか?


いやきっとそうではない


その答えは単純明快で

“絶対諦めたくない”と

強く思っていたからだけなのではないか


そもそも普段私たちは

窮地に立たされることなどほとんどない

そこまで闘うことなどない


窮地に立たされる前に

“どうにもならない”と諦めてしまう

“どうにもならない”と思った瞬間

その問題はいきなり

“どうでもいいこと”に変わってしまう


つまりは

救世主が現れるほどの

窮地に立たされていないから

救世主が現れないのだ


ただ救世主が必要なほど

強く求める思いがないだけ


“Ben-Joe”の制作でも

幾度となく窮地に立たされた


いや

諦めない強い思いを持ち続けることで

窮地に立つことから逃げなかった

(正確にはスタッフひとりひとりに窮地に立ってもらったのだが)


そして

問題解決の可能性を

ひとつずつ試していき

一生懸命もがき続けた


それと同時に

大きな声で助けを求めた


すると

やはり思いもよらないところから

必ず救世主が現れる


決まって思いもよらないところから

現れるのも偶然ではない


もし思いがよるところから

救世主が現れるのであれば

それは窮地に立たされる前に

その問題は解決している


想像力を超えたところから

現れるからこそ救世主なのだ

人間のチープな想像力を

過信しすぎないことも大切となる


救世主が現れる経験を重ねることで

人は“諦めない”気持ちを

強くもてるようになるはず


窮地に立たされれば

必ずや救世主は現れる


三河映画のメンバーは

このことを幾度となく実感している

だから

三河映画は決して諦めない


監督

岩松あきら


(写真は「幸福な結末」のクランクインの様子)



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